海の参道を渡って安徳天皇と平家一門を祀る「赤間神宮」へ

Akama-shrine,Shimonoseki山陰・山陽
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関門海峡を臨む高台に鎮座する赤間神宮は、源平最後の合戦「壇ノ浦の戦い」で、わずが8歳で
入水された安徳天皇と平家一門をお祀りする神社です。

白壁に朱塗りの色鮮やかな門は、まさに海底の竜宮城を思わせます。

このページでは、赤間神社の歴史や境内の見どころ、関門海峡を渡ってアクセスする方法などを紹介します。

赤間神宮とは

Akama-shrine,Shimonoseki

赤間神宮(あかまじんぐう)は、かつて阿弥陀寺(あみだじ)と呼ばれていました。

源平合戦で平家が源氏に敗戦を重ね、1185年(寿永4年)3月、平家はついに滅亡の時を迎え
一門は次々に入水していきました。

平清盛の娘・徳子と高倉天皇の間に授かった安徳天皇も、祖母の二位尼に抱きかかえられて入水し、
わずか8歳という若さで生涯をとじました。

Akama-shrine

1191年(建久2年) 後鳥羽天皇の勅命により御影堂が建立され、江戸時代までは安徳天皇御影堂と称されて
いましたが、明治維新の神仏分離令によりお寺は廃止され、1875年(明治8年)に赤間宮に改称されたのち、
1940年(昭和15年)、さらに赤間神宮に改称されました。

戦時中に焼失してしまった赤間神宮は、1965年(昭和40年)に再建されました。

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入水前に「どうして海に飛び込むのか」と訝る幼い安徳天皇に、二位尼(平清盛の妻)は
「海の中にも都はある」という意味の歌を詠んだそうです。

「今ぞしる みもすそ川の おんながれ 波の下にも 都ありとは」

二位尼が安徳天皇を案じる様子と、無念さが伝わってきます。

赤間神宮の再建の際に集められた資料の中にあったこの歌から「竜宮造り」という
海の中の都・竜宮城をイメージして再建されたという事です。

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1957年に建造された鮮やかな楼門は「水天門」といい、境内の回廊と共に国の登録有形文化財に
指定されています。

「水天門」という名前の由来は、安徳天皇が安産で有名な「水天宮」に祀られていて、
水天大神と称せられたことに由来します。

ご利益は水難守護、家内安全、開運招福、国家鎮護、安産祈願、漁業繁栄など。

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小泉八雲の怪談に出てくる「耳なし芳一」の舞台が、この赤間神宮(阿弥陀寺)で、
境内には「芳一堂」や、平家一門の墓である「七盛塚」などもあります。

芳一堂

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耳のない芳一の木像が祀られています。
小学生の頃、盲目の琵琶法師の伝説を「まんが日本昔ばなし」で見て、とても怖かったのを覚えています。

琵琶の名人であった盲人の芳一は琵琶を弾き、平家物語などの物語を琵琶に乗せて語っていました。
ある夜、平家の亡霊が芳一の見事な琵琶の音を聞きつけ、ぜひ聞きたいと芳一を連れ出します。

そこには沢山の平家の武将や女・子供の亡霊がおり、「壇ノ浦の合戦」の語りに涙を流し、
「7晩聞かせて欲しい」と頼まれた芳一は毎夜言われたとおりに出かけました。

寺の僧侶が不審に思い後を付けたところ、暗闇のお墓の前で平家物語を語る芳一のその周りには
たくさんの鬼火があり、これでは芳一は平家の怨霊に憑き殺されてしまうと、
阿弥陀寺の和尚が芳一の全身に般若心経を書き「今夜は声を出さないように」と忠告をしました。

その晩平家の亡霊が現れましたが、声を出さない芳一を見つけることができませんでしたが、
暗闇の中に芳一の耳だけがあることに気づき「せめて耳だけ持って帰ろう」と、
耳をもぎ取っていってしまいました。

この耳だけにお経が書いていなかったのです。

この芳一堂の前にくると、「平曲」が自動でテープが流れるので、境内の中でもいっそう気が増した場所
と言えます。しばらくいると、背筋が寒くなってきました。

平家一門の墓

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壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門の墓が境内にあります。

この供養塔は、壇ノ浦の合戦から約400年経った1600年代に所々に散らばっていた塚が集められて
建てられたものです。平家が滅亡して以来、関門海峡では海難事故が頻発し、平家の怨霊を恐れて、
建てられたといわれています。

名前に「盛」字の付く者が多いことから「七盛塚」とも呼ばれ、計14名の供養塔が並んでいます。

このスペースは社務所の裏手にあり、少し違う雰囲気が漂っていました。

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下関のお勧めホテルは、下関温泉 風の海 2018年3月にオープンした新しいホテルです。
全32室、海眺半露天風呂付のお部屋なので、波の音を聞きながら関門海峡の素晴らしい景色が楽しめます。

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基本情報

所在地:山口県下関市阿弥陀寺町4-1
電話番号:083-231-4138
参拝時間:9:00~17:00
拝観料:無料 (宝物殿:100円)

アクセス:JR山陽本線下関駅からバスで約10分、唐戸桟橋から徒歩9分

関門海峡を渡って門司港へ

関門海峡を渡ると、北九州市の「門司港」へ簡単にアクセスできます。

門司港は明治から昭和にかけて国際貿易の拠点として発展し、横浜・神戸と並んで「日本三大港」の
ひとつにも数えられました。1914年(大正3年)に開業し、いまだに現役で活躍している「門司港駅」や
当時のレンガ造りの建物などが残り、タイムスリップしたようなすてきな景観が楽しめます。

関門連絡船で渡る

shimonoseki

下関市唐戸桟橋から 関門連絡船 で、北九州市門司港桟橋へとアクセスできます。
連絡船は20分間隔で運行しており、片道400円、所要時間は約5分です。

関門連絡船 公式サイト

shimonoseki Mojiko

赤間神宮から唐戸ターミナルからまでは、徒歩で10分ほどです。
たった5分ですが、海からのまた違った景観を楽しめます。

徒歩で渡る

関門海峡は、関門国道トンネルの下に人道が通っているので、歩いて渡ることもできます。

海の底を歩いて渡ることができるので、とても不思議な感覚です。
所要時間は約15分で、徒歩なら無料で通れます。

まとめ

平家といえば落ち武者や怨霊などの伝説が語り継がれていますが、戦場であり平家が滅亡した関門海峡を
連絡船で渡っているんだと思い、歴史が身近なものに感じて不思議な気分になりました。

訪問地の歴史を復習してから行くと、自分が何を見ているのか実感がわいて観光も楽しくなりますね。
次回、時間があれば「厳流島」へも行ってみようと思います。

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