ベルリンで見逃したくないスポットは、イーストサイドギャラリーです!
イーストサイドギャラリーは、シュプレー川沿いに現存する 1.3 km のベルリンの壁で、
べルリンの壁崩壊後、東側のベルリンの壁に世界各国の118人のアーティストによって描かれた絵を
文化財として保存し、オープンギャラリーとなっている人気スポットの一つです。
ギャラリーの始まりは、西ドイツ側の人達が壁の撤去を訴えて落書きをしたのがきっかけだったといいます。
イーストサイドギャラリーへのアクセス方法やベルリンの壁の歴史と変化を紹介します。
ベルリンの壁について
ベルリンの壁(Berliner Mauer)は、1961年から1989年までベルリン市内に存在した壁です。
もともと東と西の往来は自由にできたのですが、ドイツが東西に分裂した冷戦下で、
東側から西側への人口流出が続き、東ドイツに深刻な状況を及ぼしました。
東ドイツは、西側への人口の流出を防ぐために 1961年8月13日、 西ベルリンの周囲を有刺鉄線で隔離し、
その後にコンクリートの壁を造り、東西ベルリン間の通行をすべて遮断てしまったドイツ分断の象徴です。
イーストサイドギャラリーへの行き方
イーストサイドギャラリーは、シュプレー川と平行に走るミューレン通り (Mühlenstraße)にあります。
S バーンのオスト駅 (Ostbanhof)の川側の出口を出て、シュプレー川の方向に歩いていくと、
すぐにイーストサイドギャラリーがあります。
もしくは、S バーン・Uバーンのワルシャワシュトラッセ駅 (Warschauer Strasse]_から
ワルシャワ通り(Warschauer Str.)をシュプレー川方面へまっすぐ進むと壁が見えてきます。
ホーネッカーとブレジネフの熱いキス
多くの観光客の注目を集める「ホーネッカーとブレジネフの熱いキス」です。
この作品をめがけてイーストサイドギャラリーにやってくる人が多いので、人なしの写真を撮るのは
大変難しく、しばらく待っていたのですが断念しました。
ソビエト連邦最高指揮者のブレジネフと東ドイツ首相のホーネッカーが、東ドイツ建国記念式典で交わした
挨拶の様子を、東ベルリン在住のレギス・ボッシュが撮影し、そのまま絵にしたものです。
式典の数日前、東ドイツとソビエト連邦は10ヶ年の相互支援協定を調印し、東ドイツはソ連に船舶、
機械器具、化学装置を供給し、ソ連は東ドイツに燃料と原子力機器を供給することが取り決められました。
これは、東ドイツとソビエト連邦との友好な関係を強める状況を表したもので、
自由の社会への希望を失った国民の絶望を招いた出来事だったようです。
冷戦時代から1989年までベルリンを東西に分断した、ベルリンの壁・・・
悲しい歴史を生み出した壁には、平和の願いを込めた大事なメッセージがて描かれています。
社会主義をもとにした厳しい取り締まりから逃げられなかった、東ドイツ国民の苦しい状況を題材にした
映画やドキュメンタリーを何度か見たことがありますが、ベルリンの壁崩壊までの28年間で、
西側へ脱出できたのは、5000人でした。
200人以上が川を渡れずに溺死するか警備兵によって射殺されて命を失った悲しい歴史です。
オーバーバウム橋
イーストサイドギャラリーの近くには、シュプレー川にかかる「オーバーバウム橋」があります。
1700年代には、木製の跳ね橋が架けられ市内への入口となっていました。
現在みられる赤レンガで造られた2階建ての橋は、124メートルの長さがあり、
冷戦時代には東西を繋ぐ橋の西側に、通行人用の国境検問所が置かれていました。
現在は、無料で通行することが出来ます。
アクセスと基本情報
名称:イーストサイドギャラリー [ Eastside Gallery ]
場所:Mühlenstraße 3-100, 10243 Berlin
交通アクセス:S-bahn / U-bahn [ Warschauer Strasse ] から徒歩10分、S-bahn [Ostbahnhof] から徒歩8分