[世界遺産] 姫路城の見どころと妖怪伝説!

姫路城、兵庫県近畿

日本の伝統的な風景が見られる場所として、海外からも多くの観光客が訪れる姫路城。

近年放送された大河ドラマの主人公・黒田官兵衛のゆかりの地として、さらに大きな注目を
集めた姫路城の見どころや城に伝わる奇妙な妖怪伝説、アクセス方法なども含めて紹介します。

姫路城について

白壁の美しい天守をもつ姫路城は、「白鷺城(しらさぎじょう」の愛称で親しまれ、太平洋戦争
末期の空襲からも奇跡的に焼失を免れ、江戸時代初期のままの姿がほぼ完全に残されています。

天守は築城時のもので、8棟が国宝、74棟は国指定重要文化財に指定されている歴史的に
とても貴重な建築物です。1993年にはユネスコ世界文化遺産に登録されました。

姫路城、兵庫県

1346年(貞和2年)、美作国守護大名・赤松則村が砦を築いたことが姫路城の始まりとなります。

戦国時代、城主となった黒田官兵衛の祖父(重隆)によって
強固な城壁を持つ城郭へと改築されました。

黒田官兵衛は、1546年姫路城で生まれたとされています。
秀吉は姫路城主として迎えられ、中国の毛利勢と戦い、中国大返しの拠点となりました。

関ヶ原の戦い以後は、徳川家康の次女督姫(とくひめ)を妻とし、
徳川家の庇護の下で池田輝政により、1609年(慶長14年)に大改修され
姫路城は、大阪城包囲網のひとつとなりました。

姫路城の構造について

21の城門

姫路城、兵庫県

「菱の門」という城内で最も大きな表玄関にふさわしい格式高い門です。
櫓門(やぐらもん)と呼ばれる片側だけが石垣の上に乗る安土桃山時代の様式の城門です。

姫路城、兵庫県

城内には菱の門をはじめ「いの門」、「ろは・・・るの門」などいろはを使ったものや
「水の一・・・水の六の門」と名づけられた大小様々な様式の門が21門残されています。

姫路城、兵庫県

土塀と狭間

姫路城、兵庫県

重要文化財指定の32の土塀

当時木造づくりの土塀が主流だったのに対し、
姫路城では一定の大きさで造られた粘土の塊を積み上げ、木造を屋根部分のみに使用し、
外側の壁は白漆喰で美しく仕上げられています。

城を防備するための仕掛け

姫路城、兵庫県 姫路城、兵庫県

幾何学模様の窓は戦いに使われたもの

土塀の至る所には三角形、丸形、正方形、縦長方形など4種類の穴が見られます。
おしゃれな壁だな~と思ってみていましたが、これは狭間という城を防備するための仕掛けで、
正方形の穴からは鉄砲、縦長方形の穴からは弓・矢などが撃たれたそうです。

現存残っている数では997か所にも余るそうです。

狭間は開けられた位置によって立狭間、居狭間、寝狭間と名前がつけられ、
姫路城では片膝をついて鉄砲を撃つときに利用される「居狭間」の数が多くみられるようです。

いくつもの門をくぐり続け、狭間からの攻撃を受けながら
天守閣にたどり着く事は決して容易ではなかったということがことごとく証明されています。

上りずらい急傾斜な階段

姫路城、兵庫県

天守は屋外から見ると5階建てのように見えますが、内部の造りは地上6階と地下1階の
7階構成になっています。そして、大天守(6階)へは急な階段を上らなければいけません。

姫路城、兵庫県

大阪城のようにエレベータはないんです・・・

階段の段の高さが非常に高く、傾斜が大変急なつくりになっていて、
上層部では頭でも打つんじゃないかと思うほど狭く低い構造になっています。

160cmに満たない私が狭く低いというのですから、想像できますよね。

これは、敵の攻撃からの防御策として上りずらく造られたそうです。
上りだけでなく、下りる時もかなりきついですから気を付けてくださいね!

武具掛けや仕掛け

姫路城、兵庫県

天守には多くの武具掛けがあり、武器倉庫としても使われていたことが分かります。

姫路城、兵庫県

天守の窓には敵の侵入や矢玉を防ぐために太い格子がはめられています。
窓の位置を高くしたり低くすることにより、より多くの待機場所が設けられています。

天守への出入り口は4か所で、どの入り口も外側と内側の扉によって二重の防御がされ、
閂をかけることによって城への侵入を防ぎました。

武者隠し

姫路城、兵庫県

武者隠しは伏兵を配置する為のものだと思うのですが、内部は2階になっていてとても狭いので、
こんな狭い場所に入れるのか疑問です。

内部を見ると武者隠しの下部には狭間が設けられていて2層構造になっているので、
下部から攻め入った敵を攻撃するためのものだったのでしょう。

呪われた妖怪伝説

姫路城、兵庫県

大天守の最上階に神社?

大天守の最上階に「長壁(刑部)神社」が鎮座する迄には妖怪伝説があった・・・

姫路城が姫山に築かれる以前、この姫山には「刑部神社」があり、
「小刑部(おさかべ)宮」という地主神が祀られていたそうですが、
秀吉が城の改築の際に、この「刑部神社」を姫山から町はずれに遷座されたそうです。

それ以降、姫路城には長壁姫という女性の妖怪が城の天守に隠れ住むようになり、
池田輝政とその子供たちに不幸が続き、誰もいない天守閣に怪しい灯りがともったり、
大勢の人の泣き喚く声が聞こえるなど不審な出来事が起きたことにより、刑部大神の祟りを恐れ、
この大天守の6階に「刑部神社」が祀られるようになったといわれます。

この長壁姫は、キツネの妖怪であったのではという説もあるそうです。

大天守からの眺め

姫路城、兵庫県

上りづらい階段をここまで上ってきたんですから、大天守からの眺めも楽しみましょう。
展望テラスのようなものはありませんが、姫路公園から姫路駅方面の街並みが楽しめます。

姫路城、兵庫県

徳川家康の孫娘千姫の休憩所であった化粧櫓(けしょうやぐら)のある西の丸や
姫路の城下町の様子が見られます。

怪談の舞台となったお菊井戸

姫路城、兵庫県

「いちま~い、にま~い」と江戸時代の庶民を震え上がらせた
播州皿屋敷という怪談の舞台となったお菊井戸が、ここ姫路城の上山里という広場にあります。

室町時代、青山鉄山は当時城主であった小寺氏から姫路城乗っ取りを企みますが、
策略を察した衣笠元信の働きにより、この企ては失敗に終わります。
この策略が失敗に終わった原因は、鉄山の元へ奉公し異変を元信に逐次密告していたお菊でした。

策謀が失敗に終わった後もお菊は潜入したまま、すべての情報を元信へ送っていましたが、
ある日鉄山の同志・町坪弾四朗にお菊の正体がばれてしまい、お菊に好意を抱いていた弾四朗は、
妾になるようにとお菊を脅しますが、お菊は強情に拒否します。

弾四朗は脅迫に応じないお菊を憎み罠にかけます。

姫路城、兵庫県

小寺家の家宝であった十枚一対の皿のうち一枚を隠し、皿の管理者であったお菊を
管理不行き届きの罪にかけました。お菊は、切り殺され井戸に投げ捨てられてしまうのです。

それから、夜ごとにお菊の投げ込まれた井戸の底から悲しげな女のかすれた声で、
「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚・・・」と皿を数える声が
聞こえるようになったそうです。

姫路城へのアクセス

場所:姫路市本町68

見学時間:9:00~17:00 (入城は16:00まで) 4月27日~8月31日は1時間延長

休業日:12月29日~12月30日

入場料金:1000 円 (姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」と共通券 1050円)
詳しい案内を姫路城公式ページから確認

バス:「姫路城大手門前」で下車して徒歩約5分
徒歩:姫路駅北口から大手前通りをまっすぐ約20分

大手門駐車場:3時間600円、3時間以降~1日900円(24時間体制)

 

まとめ

世界遺産というだけあり、見ごたえがあります。
色々な個所の説明を見ながら当時の様子を想像してみるのも面白いし、
最近では、城内の説明を自分のスマートフォンから動画でみれる「ARアプリ」があるので、
よりリアルな説明が見れてとても面白いシステムだと思いました。

お城を見学した後は、共通券でお隣の姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」の日本庭園を見学すると、
より充実した姫路観光ができるのではないでしょうか。

 

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