年に2回、馬を用いて行われる「パリオ祭」が開かれる会場として有名な「カンポ広場」。
その広場を見下ろすようにして建つ、シエナのシンボル的存在「マンジャの塔」とシエナで一番豪華な
ゴシック建築といわれる「プッブリコ宮殿」。
13~14世紀に建てられたプッブリコ宮殿は、現在半分が市役所、もう半分が市立美術館として
シエナの歴史を語るフレスコ画で装飾されています。
見学時間とチケットについて
マンジャの塔とプッブリコ宮殿のチケットは、当日窓口で購入できますが、週末は結構混みあっています。
プッブリコ宮殿のチケット は、Get Your Guide などチケット販売サイトからも同じ価格で購入可能です。
見学時間:10:00~18:00 (11月1日~2月28日)、 10:00~19:00(3月1日~10月31日)
休館日:12月25日、1月1日は、12:00~18:00
入場料:大人 € 6プッブリコ宮殿とマンジャの塔のセット券:15ユーロ
マンジャの塔 [ Torre del Mangia ]
見学時間: 10:00~19:00 (3月1日~10月31日)、10:00~16:00(11月1日~2月28日)
休館日:12月25日、1月1日12:00~16:00
入場料:€ 10
*パリオが開催される時期は変更の可能性があるので、公式ページ から確認しましょう。
ローマのシンボルが入り口にある理由は?
プッブリコ宮殿の中庭には、ローマのシンボルである「雌オオカミと双子」のモチーフが見られます。
そういえば、街歩きをしていて幾つか同じようなモチーフを見かけたとこを思い出して
何故、ローマのシンボルがシエナに...? と単純な疑問から調べてみると、
ローマ建設の王座争いで、レムスは兄弟のロムルスによって殺害されてしまいますが、
レムスの子供であった双子「セニウスとアスキウス」も命を狙われます。
双子はローマのシンボルの像を盗み、アポロンとディアナによって遣わされた白と黒の馬に乗って、
ローマから逃れ、シエナに辿り着き街を創設しました。
ここらから、シエナの二色紋バルザーナが生まれたといいます。
シエナという街の名前は、セニウス(Senio)からとってシエナ(Siena)とし、
新しい国のシンボルを古代ローマと同じ雌狼にしたという伝説が残されています。
シエナの街の所々に見られるので、探してみてくださいね! シエナの見どころは 別ページ で!
プッブリコ宮殿の見どころ
プッブリコ宮殿の各部屋には名前がつけられており、どの部屋もシエナ派を代表する画家たちによって、
シエナの歴史を語るフレスコ画で装飾されています。
リソルジメント室 [Sala del Risorgimento]
19世紀のフレスコ画や彫刻を展示するリソルジメント室では、ヴィットリオ・エマヌエーレ ll 世の
イタリア国家統一運動の様子を描いたようすが壁一面に描かれています。
鮮やかな色彩に金を用いた豪華な天井画お必見です。
礼拝堂[ Cappella di Palazzo ]
礼拝堂は、フレスコ画や木製の浮彫りで装飾され、落ち着いた美しさが見られます。
壁画は、シエナ派のタッデオ・ディ・バルトロ(Taddeo di Bartolo)によって
聖母の生涯、聖人、福音書記者、預言者、美徳のシーンが描かれています。
執権の間 [ Sala di Balia ]
マルティーノ・ディ・バルトロメオ、スピネッロ・アレティーノ、ドメニコ・ディ・ニコロ
などによるフレスコ画は、とても色鮮やかです。
世界地図の間 [ Sala del Mappamondo ]
世界地図はなく、戦争の場面を描いたフレスコ画で覆われています。
荘厳の聖母
シモ―ネ・マルティーニ (Simone Martini )による初期傑作といわれる「荘厳の聖母(マエスタ)」は、
横幅10メートルにも及ぶフレスコ画で、シエナ派を代表する作品です。
騎馬のグイード・リッチョ・ダ・フォリアーノ
地図の間のもう片方の壁を飾るのも、シモ―ネ・マルティーニ ( Simone Martini )によって
1330年に制作された「騎馬のグイード・リッチョ・ダ・フォリアーノ」(Guidoriccio da Fogliano
all’assedio di Montemassi)です。
シエナ共和国の反乱を抑えた指揮官が、征服した城に向かって勝利の行進をするを描いたこの作品は、
シエナの誇りを表すものです。
枢機卿の間 [ Sala dei Cardinali ]
アンブロージョ・ロレンツェッティ(Ambrogio Lorenzetti) 、マルティーノ・ディ・バルトロメオ
(Martino di Bartolomeo)、マッテオ・ディ・ジョヴァンニ (Matteo di Giovanni)などによる
14~15世紀のフレスコ画で装飾されています。
平和の間 [Sala della Pace]
平和の間の 「善政の効果と悪政の効果の寓意」は、アンブロージョ・ロレンツェッティによる
一連のフレスコ画で、壁の3面の上部に配置された 6 つの場面で構成されています。
ロッジャから眺めるシエナの街並み
美術館の見学後は、テラスで新鮮な空気を吸って和やかな景色を楽しんでみましょう。
少し急な階段を上がると、カンポ広場とは反対側のテラスに出ます。
ここからは、シエナの街並みやトスカーナの美しい田園風景を楽しむことができます。
トスカーナ州やウンブリア州を訪れると、小高い丘の上に街が造られているのを目にします。
これらの街は、エトルリア人によって造られています。
彼らの街づくりの特徴は、小高い丘に街をつくり壁で街を囲むこと。
このロッジャからも、そのような街の風景を見ることができます。
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マンジャの塔
プブリコ宮殿の横の天高く聳え立つ「マンジャの塔 (Torre del Mangia)」。
1300年代中ごろに建てられた塔は、全長88m、避雷針までは102mの高さを誇ります。
塔の中には約400段の階段があり(階段の数は解説ページによって数字が異なる)、
エレベーターがないので、展望台へのアクセスは階段のみです!
階段の幅が狭いので、大きな荷物はロッカーに預けることになります。
塔の高さは、小高い丘の上にあるシエナ大聖堂の鐘楼と同じ高さになるようバランスよく造られています。
マンジャの塔の名前の由来
イタリアで14番目に高いといわれるマンジャの塔ですが、イタリア語で 「マンジャ (Mangia)」 は、
“マンジャーレ(食べる)” なので、なんか変な名前ですよね!
これは、市から一番最初に鐘楼の鐘つきを任命された、ジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョのニックネーム
が、「 マンジャ・グワダンニ (Mangia Guadagni)」だったことから、鐘をついた時の掛け声が「マンジャ!」
だったそうで、そのまま塔の名前に置き換えられたそうです。
ちなみに...マンジャ グワダンニの意味は、食べて(Mangia) 儲ける(Guadagni)という意味です。
つまり、働かないでお金儲けするという怠け者を意味するニックネームだったんです。
マンジャの塔とプッブリコ宮殿へのアクセス
マンジャの塔とプッブリコ宮殿は、シエナの中心部カンポ広場 ( Piazza del Campo) にあります。