古都・奈良の世界遺産やフォトジェニックなスポット巡り9選!
奈良といえば、遠足や修学旅行の人気スポットであり、「大仏様」や「鹿」を思い浮かべます。
また、東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡など
8つの資産で構成される「古都奈良の文化財」が世界文化遺産に登録された重要な歴史のある街です。
今回、奈良公園を中心に、世界遺産の寺社や風情のある街並みを廻った散策スポットを紹介します。
奈良の散策マップと廻り方
奈良の世界遺産や寺社仏閣、観光スポット巡りには、「ぐるっとバス」が便利です。
ぐるっとバスは、奈良市内の主要観光地周辺を巡る観光客向けの周遊バスで「奈良公園ルート」
「大宮通ルート」、「若草山ルート」の3つのルートがあり、いずれも1回100円で乗車することが出来ます。
また、ICカードも使用できるので小銭を用意する必要がなく便利です。 詳しくは
1200頭の鹿が生息する「奈良公園」
奈良公園は、東大寺、春日大社、興福寺の境内や、平安朝以来「春日大社」の神域として、
人の手が入らず原始林の生い茂る春日奥山までの東西4km、南北2kmの約660ヘクタールというと
想像もつかない大きさですが、東京ドームが約140個分の敷地をもつ広大な公園です。
緑豊かな公園内には芝生の広場や池、小川があり、約1200頭の鹿が生息しています。
露店で販売されている鹿せんべいは、1つ200円、1箱500円ほどです。
鹿に餌をあげながらシャッターチャンスを狙いたいところですが、ここで注意しておきたいのは、
鹿は野生動物であるということです!
人に慣れているので通常はおとなしいですが、食べ物を持っていると大群で押し寄せてきます。
そして、少しでも身の危険を感じれば、攻撃に転じてくるので油断は禁物です。
また、鹿がゴミを食べて亡くなるという事を避けるため、公園内にはゴミ箱がないので、
ゴミは各自で持ち帰るようにしましょう。
世界最大級の木造建築を誇る「東大寺」
東大寺が建立されたのは、奈良時代の752年(天平勝宝4年)です。
聖武天皇が、幼くして亡くなった皇太子の菩提を弔うために728年(神亀5年)、若草山の麓に建てた
金鍾山寺(きんしょうさんじ)が昇格して、大和国金光明寺(やまとのくにきんこうみょうじ)と
なるのが東大寺の前身です。
後に大仏造立が始まり、752年(天平勝宝4年)に大仏開眼供養会が行われ、758年(天平宝字2年)に
大仏殿が完成しました。
奈良時代には大仏殿・講堂・中門・南大門・東西2基の七重塔などの伽藍が立ち並ぶ大寺院へと
発展しますが、火災や災害、戦闘に被害で何度も焼失再建を繰り返し、現在の東大寺へと至ります。
1998年ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されました。
大仏殿に入ると、東大寺のご本尊「大仏様」が穏やかな表情で鎮座しています。
正式名は盧遮那仏(るしゃなぶつ)といい、高さ約15mもあります。
大仏殿では、東大寺創建当初のレプリカや、5メートルほど大きさの仏像群を見ることができます。
また、高さ約37cm、幅約30cmの大仏様の鼻の穴と同じくらいの大きさの穴が開いた柱があり、
この穴をくぐると厄除けになるといわれています。
小さな穴なので大人がくぐることは、まず無理ですが・・・
二月堂など見どころが沢山あります。
東大寺の守護神であった「手向山八幡宮」
手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)は、東大寺境内の二月堂や法華堂(三月堂)などの近くに
鎮座する東大寺と深いつながりを持つ神社です。
749年(天平勝宝元年)東大寺建立にあたって、全国の「八幡さん」の総本社である九州豊前国
(大分県)の宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請されたのが、創建の由来です。
当初、平城宮南の梨原宮に鎮座していたそうですが、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移鎮され、
1180年(治承4年)の平重衡による南都焼討で焼失してしまいました。
その後、鎌倉時代1250年(建長2年)北条時頼によって現在の場所に再建され、東大寺の守護神として
役割を果たしてきましたが、明治の神仏分離の政策で東大寺から独立し、現在に至ります。
御祭神として、応神天皇、比売大神、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇の5柱が祀られています。
境内には摂社として若宮神社、住吉神社、高良神社、武内神社、若殿神社や多数の小さな末社も
鎮座しており、重厚な門と回廊、神楽所が印象的です。
また、国宝として校倉造の宝庫や唐鞍、舞楽面が重要文化財に指定されており、
紅葉の名所としても有名です。
風情のある「東大寺裏参道」
鹿が散歩していたり、小川で水を飲んでいる様子などもうかがえる、とても素敵な場所です。
1年中美しい苔が見れる「吉城園」
奈良県庁の東側に位置する吉城園(よしきえん)は、興福寺塔頭摩尼珠院(まにしゅいん)の跡地に
造られた美しい日本庭園で、2011年には奈良県指定有形文化財に指定されています。
庭園は無料で公開されており、園内は旧正法院家住宅を中心とした「池の庭」「苔の庭」「茶花の庭」
から構成され、四季折々の景色が楽しめます。
また、庭園の高台からは若草山を眺めることができ、落ち着いた佇まいのなかで静かな散策が楽しめます。
全国の春日神社の総本社「春日大社」
1300年の歴史を誇る春日大社は、全国およそ1000社の春日神社の総本社で、1998年ユネスコの
世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されました。
春日大社は、奈良に都が移された768年(神護景雲2年)、護国繁栄を祈るために創建され、
御蓋山(みかさやま)へ武神・雷神でもある武甕槌命(タケミカヅチノミコト)をお迎えし、
中臣氏・藤原氏の氏神を祀ったことが春日大社のはじまりとされています。
主祭神の武甕槌命が白鹿に乗ってきたことから、鹿を神使いとされました。
武甕槌命を主祭神とし、国を平和におさめる力を持つ武神・経津主命(フツヌシノミコト)、
最高の知恵を持つといわれる司祭神・天児屋根命(アメノコヤネノミコト)と比売神(ヒメガミ)の
夫婦神四柱が祀られ、春日皇大神(カスガスメオオカミ)として信仰を集めてきました。
創建以来、20年ごとに式年造替が行われる本殿は美しさを絶やさず、特別参拝料を納めると(500円)、
重要文化財に指定されている回廊を歩きながら中門越しに本殿をまじかで見たり、
その他主要な建造物を近くで見学することができます。
また、春日大社国宝殿には国宝352点、重要文化財971点といった古来から御神殿に納められてきた
宝物が所蔵されています。
春日大社や興福寺の近くに立地するフォトジェニックな ホテル「セトレならまち」の記事はこちらから
壮大な五重塔がそびえたつ「興福寺」
興福寺は、710年(奈良時代初期)平城京遷都の際に、藤原鎌足の息子で当時の権力者だった藤原不比等
(ふじわらのふひと)が、飛鳥の厩坂寺(うまやさかでら)を現在の位置に移し「興福寺」と
改名したのがはじまりです。
その後、北円堂、東金堂、五重塔などが建てられ、藤原一族の氏寺としておおいに栄えましたが、
度重なる火災と1180年(平安時代末期)に平氏による南都焼討ちで、ほとんどの建物が焼失します。
被災と再建が繰り返された興福寺の境内には、阿修羅立像を有する「国宝館」、50メートルの高さを誇り
奈良を代表する景観の一つ「五重塔」、5度にわたる焼失と再建を繰り返し、室町時代に再建された
天平様式を残す「東金堂」、天才仏師・運慶が晩年に手がけた「無著(むじゃく)菩薩立像」、
「世親(せしん)菩薩立像」が安置されている「北円堂」などが並びます。
五重塔、東金堂、北円堂、三重塔は国宝に、南円堂は重要文化財に指定されており、
1998年には「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界文化遺産にも登録されました。
1400年の歴史をもつ「元興寺」
元興寺は、伝統ある古民家や町家が数多く立ち並ぶ「ならまち」の一角に鎮座する真言律宗の寺院です。
6世紀、蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺を前身としており、
遷都に伴い平城京内に移転し、元興寺と名前を変え、南都七大寺(東大寺・興福寺・元興寺・大安寺
・西大寺・薬師寺・法隆寺)のひとつとして朝廷の保護を受けて栄えました。
平安時代以降徐々に衰退の道をたどりますが、浄土信仰が庶民のもとに根づいてゆくにつれ、
庶民信仰のお寺として発展しました。
明治時代の神仏分離・廃仏毀釈の影響で、一時は荒れ果てた状態になってしまいましたが、戦後、
歴史的な価値や意義が高く評価されるようになり、本堂の「極楽坊」や禅室、五重小塔が
国宝に指定されました。
ご本尊の智光曼荼羅(ちこうまんだら)や東門をはじめ、多数の所蔵品が国の重要文化財に指定され、
境内は「元興寺極楽坊境内」の名前で国の史跡に指定されています。
1998年には「古都奈良の文化財」を構成する遺産のうちのひとつとして、
ユネスコの世界遺産に登録されました。
ちなみに本堂と禅室の屋根には、いまも奈良時代の移転の際、法興寺から運ばれた
1400年の歴史をもつ瓦の一部が使用されているそうです。
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蘇った華やかな白鳳様式の「薬師寺」
法相宗(ほっそうしゅう)の大本山薬師寺は、白鳳時代に創建された病気平癒、健康祈願のお寺です。
680年(天武9年)、天武天皇が病に臥せった皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し発願されましたが、
皇后の平癒後天武天皇が病で崩御され、寺は697年持統天皇によって完成しました。
平城京遷都にともない、奈良時代の初期718年(養老2年)にいまの地に移され、その壮麗なたたずまいは
「龍宮造り」と呼ばれるほどの美しさだったそうですが、度重なる災害と1528年の兵火により
ほとんどが焼失してしまい、その中で唯一創建当時から現存するのが国宝の東塔です。
その後、伽藍の復興が進められ、1976年(昭和51年)には金堂、1981年(昭和56年)には西塔、
中門は1984年に、回廊、大講堂、食堂と次々と再建され華やかな白鳳様式をいまにみることができます。
1998年には「古都奈良の文化財」を構成する遺産のうちのひとつとして、東大寺や興福寺などとともに
ユネスコの世界遺産に登録されました。
まとめ
奈良の建造物は歴史が深くスケールも大きいので、寺院一つ見学するにも結構時間がかかります。
また、徒歩圏内にある観光スポット間も結構距離が離れているので、すべてを歩いて回らず、
バスや電車など公共交通機関を上手く組み入れて観光するのが良いと思います。
ここで紹介した奈良のスポットは、ほんの一部ですが、奈良県の国宝・重要文化財の数は、
東京都、京都府に次いで全国3位で、国宝のうち彫刻と建造物の件数は、全国1位だそうです。
さらに、古墳や庭園などの「史跡名勝天然記念物」の件数も、全国1位を占めるというのですから、
何度も通って見学する価値があるわけですね。
春日大社の御祭神・武甕槌命(タケミカヅチノミコト)は、鹿島神社(茨城県)から神鹿(しんろく)に乗ってやってきたと伝わるため、鹿は神の使いとして大事にされてきました。