日光東照宮は、パワースポットとしても知られる徳川家康公を神として祀る神社。
1999年に「日光の社寺」の一つとして世界遺産に登録された日光東照宮の社殿群の殆どは、
1636年(寛永13年)3代将軍・徳川家光による「寛永の大造替」で建て替えられたものです。
境内には豪華絢爛なる国宝8棟、重要文化財34棟を含む55棟の建造物が建ち並び、
その建物には漆や極彩色がほどこされ、全国各地から集められた名工により龍や猿、猫など
動物をモチーフにした多数の彫刻で飾られています。
この記事では、日光東照宮の見どころや歴史などを紹介していきます。
日光東照宮とは?
日光東照宮は、織田信長や豊臣秀吉と並び「戦国の三大武将」のひとりに数えられながら、
100年も続いた戦国時代に終止符をうち、江戸幕府を開いた初代将軍・徳川家康公を神として祀り、
彼の墓所とする神社です。
東照宮とは、「東から照らす神社」という意味で、家康は死後「神」となり、日本列島の東側から
全国を照らし守護しているのです。
家康公の死後、2代将軍秀忠が「東照社」と呼ばれたシンプルなお堂を造り、その後3代将軍家光により
約2年間の歳月をかけて現在の豪華絢爛な社殿へと再建されました。
そして、1999年には長い歴史で受け継がれた信仰の姿と優れた建築群が評価され、二荒山神社、
輪王寺とともに「日光の社寺」として世界遺産に登録されました。
石鳥居
参道を抜け、石鳥居の前で一礼をして神域へと入ります。
高さ9メートルもあるこの石鳥居には、筑前国福岡藩初代藩主(現在の福岡県)黒田長政(くろだ ながまさ)が、
自身の領地から日光まで石を奉納したことが表記されています。
五重塔
石鳥居を抜けると、すぐ左手に見えてくるのが極彩色の華麗な五重塔。
高さ36メートルを超えるこの五重塔は、1650年に小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されたものですが、
1815年に落雷のために焼失してしまい、1818年同藩主酒井忠進公によって再建されたものです。
塔の1層目の軒下には、名工「後藤正秀」が手がけた十二支の彫刻があります。
1面に3体ずつ十二支の動物たちが彫られており、その正面には寅、兎、龍が彫られ、
それぞれ家康(寅)、秀忠(卯)、家光(辰)の干支を表しているそうです。
彼ら3人の干支は東照宮の至るところの彫刻にみられます。
そして、五重塔は地震に強いと言われる通り、再建された際に用いられた耐震構造は、
東京スカイツリーの建設設計にも応用されているという有名なエピソードがあります。
猿に守られる神厩舎
表門のすぐ左手には東照宮境内唯一の素木造りの建物、神厩舎(しんきゅうしゃ)があります。
神厩舎は神様に仕える馬をつなぐ厩(うまや)で、昔から猿は馬を守り世話をするとして、
馬の守り神だとも言われています。
このことから、神厩舎には人の一生を風刺する猿の彫刻が8面に渡って施されています。
三猿の「見ざる・言わざる・聞かざる」の有名なことわざも彫刻になっています。
上神庫の想像の象
上神庫は、祭典で使用される馬具や衣装などが収められている三神庫のうちの1つです。
この上神庫側面には、不思議な像が2頭描かれています。
これは「想像の象」と呼ばれており、絵師・狩野探幽によって描かれたものです。
江戸時代に日本には像がいなかったので、象を見たことがない作者が想像で描いたことから、
この名で呼ばれるようになったそうです。
私たちが普段見ている象とは少し違って、何か神聖な感じがします。
想像で象を描いたというのもすごいですね。
北辰の道の起点
鳥居をくぐり、陽明門(ようめいもん)へと向かいます。
この鳥居からは、その先にある陽明門、唐門(からもん)を一度に写真に納められるベストスポットです。
このあたりは「北辰の道の起点」と言われ、最も強力なパワースポットの一つです。
北辰の道とは、北極星へ向かう道という意味で、陽明門と手前の鳥居の中心に結んだ上に
北極星が来るように建てられています。
華麗な彫刻で飾られた陽明門
陽明門は、神の領域に入るものを見張るため建てられたと言われています。
日本を代表する最も美しい門の1つとされ、国宝にも指定されています。
金と白のコントラストが印象的なこの門には、金箔が24万枚も使用されているそうです。
中国の故事や歴史上の人物、龍など508の江戸時代の最高技術を結集した彫刻が施され、
ずっと見ていても飽きないとして、「日暮の門(ひぐらしのもん)」という別名がつけられたほどです。
陽明門には多くの龍が彫られていますが、その中でも目だけが彫られて金色になっている未完成の
「目貫きの龍」は、完成された建物はいつか崩壊するが、未完成であれば崩壊しないという意図から、
あえて未完成な状態にしたといわれます。
開湯300年の歴史をもつ関東有数の温泉地「鬼怒川温泉」で、贅沢な1泊2日の旅
栃木県のホテル・旅館をさがす
本殿を守る唐門
御本社の入口に建つのが国宝の唐門(からもん)で、東照宮の本殿を守護するように建てられた門です。
陽明門に比べると小さく感じられますが、東照宮でもっとも重要な御本社の正門で、江戸時代には
「御目見得(おめみえ)」といって、将軍に拝謁できる身分の幕臣、大名だけが通ることのできた門でした。
胡粉(ごふん)という貝殻をすりつぶして作った白い顔料が塗られています。
門全体に施されている彫刻の数は611。
中国古代史に登場する栄達や高い位を嫌う教えの「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や
古代中国神話に登場する皇帝・舜(しゅん)の姿など細かい彫刻の数々が見られます。
ちなみにこの舜の顔ですが、実は家康の顔に似せてつくられているとも言われています。
屋根部分には霊獣がいます。
真ん中にいるのは「恙(つつが)」といわれる唐獅子、左右にいるのは昼を守護する龍です。
恙は獅子や虎よりも強い力を持つ霊獣で、東照宮の夜を守護していると言われています。
彼らがどこかへ行ってしまわないように、恙の像は屋根に金輪で固定され、龍もその鰭(翼)が
切られています。
鳴き竜が潜む薬師堂
本地堂(薬師堂)の見どころは、「鳴き龍」です。
内部の写真撮影はできませんが、お堂内には34枚の檜板でできた天井があり、
そこに巨大な龍の墨絵が描かれています。
初代墨絵は1961年に焼失してしまい、現在見ることのできる墨絵は、堅山南風(かたやま・なんぷう)
によって復元されたものです。この龍の下で拍子木を打つと高い音が鳴り渡り、
龍の鳴き声のように聞こえることから「鳴き龍」と呼ばれるようになりました。
本地堂には、立派な仏像群が鎮座しています。
奥宮
坂下門をくぐり、奥宮にある徳川家康公の墓所へと向かいます。
奥宮(おくみや)とは、拝殿・鋳抜門・御宝塔からなり御祭神・徳川家康公が眠る日光東照宮で
最も神聖な場所です。江戸時代から一般庶民はもちろん、大名でさえ入れなかった神聖な場所で、
歴代徳川将軍関係者しか入ることができませんでした。
1965年の日光東照宮三百五十年大祭を記念して公開されたのがきっかけで、現在に至ります。
大きな緑の杉が立ち並ぶ石廊下を歩いていると、強いパワーが感じられます。
奥宮の入り口を守る門には左甚五郎作の国宝「眠り猫」、そしてその後ろには、スズメのモチーフが
彫られています。
猫が居眠りし、スズメが安心して遊べるような平和が続くようにという意味あいがあるそうです。
そして、急な傾斜になっている207段の長~い石段を上りきると拝殿に到着です。
まず拝殿にお参りしてから、その奥にある御宝塔へ向かいます。
徳川家康公の墓「奥宮宝塔」
徳川家康公の墓である「奥宮宝塔」は生気の発生元と言われおり、
真横と真後に、特に強いパワーがあると言われています。
宝塔の横には杉の古木がありますが、その杉のほこらに向かって願い事を唱えると、
願いが叶うということから「叶い杉」と呼ばれています。
御宝塔の周りは1周できるようになっているので、その周りを歩きながら強いパワーを体感してみてください。
日光東照宮の基本情報とアクセス
住所:栃木県日光市山内2301
アクセス:JR日光駅から東武バスで約7分、バス停「神橋」から徒歩約8分
拝観時間:4月~10月 8:00~17:00 / 11月~3月 8:00~16:00
(受付は閉門30分前に終了します。)
拝観料:大人・高校生1,300円、小・中学生450円
日光東照宮公式サイト
まとめ
やはり世界遺産に登録されたというだけあり、見ごたえがあります。
そして、100年にもわたる戦国時代を終わらせた英雄、徳川家康公の墓所にふさわしい立派な場所です。
日本文化を代表する江戸建築に絢爛豪華な多くの動物をモチーフにした彫刻などは、
一つ一つに意味がこめられ、それを解読しながら見学していくのも大変楽しいです。
東照宮といえば、「日光」に結びつけますが、この東照宮は徳川家康公を祀る神社ということで、
全国に150社もあるそうです。もちろん、日光東照宮ほどの規模ではありませんが、
東京の上野公園の敷地にも「上野東照宮」があり、本格的な江戸建築や「眠り猫」を彫った
名工・左甚五郎作が手掛けた「昇り龍」「降り龍」を見ることができます。