1日で廻るポーランドの首都・ワルシャワの見学スポット!
第二次世界大戦で街の約80%が瓦礫化したという悲しい過去の歴史を残したワルシャワ。
それゆえ、ワルシャワには戦争やユダヤ人の歴史に関係した博物館や慰霊碑などが多くみられます。
現在では、近代高層ビル群が立ち並ぶ地区や交通網も行き届き、観光スポットにアクセスしやすい
環境になっていますが、ワルシャワの観光スポットは1か所に集中していないので、
交通機関を利用する必要があります。
そのうえ博物館が多いので、これを見学するとすれば2~3日の滞在が必要ですが、
今回、ショパンのゆかりの場所や世界遺産に登録された中世の街並みを再現した歴史地区、
ゲットーの壁の破片や境界線が記された場所など、ポーランドの歴史を辿る見学スポットを
1日で廻ってきたのでその散策コースを紹介します。
クラクフからワルシャワへ
ポーランドの新幹線 EIP(Express Intercity Premium)で、クラクフからワルシャワまでは2時間20分。
ゆったりとした座席とフリーWi-Fi、ドリンクサービス付きの快適な旅でした。
一か月前にPKP Intercityのサイトから購入したSuper Promoチケットは、
2等指定席 1人 49 zl (¥ 1.400 ) と信じられない安さでした。(チケットの購入価格は2019年です)
ちなみに公式サイトで見た当日チケットは、150 zl 前後だったので・・・かなりお得なプライスです。
ワルシャワの歴史
ワルシャワの歴史の始まりは、13世紀ごろに遡ります。
川のほとりに造られた小さな村落が14世紀後半頃に都市となり、市街(旧市街)が防壁で囲まれました。
1596年、クラクフからワルシャワへと首都が移されるとともに、多くの歴史的建造物が建てられ、
ワルシャワは「北のパリ」とも呼ばれるようになりました。
16世紀後半から20世紀までは、ロシア、プロイセン、オーストリアなど近隣諸国の侵略を受け、
第二次世界大戦ではナチス・ドイツの侵攻で空爆を受けます。さらに「ワルシャワ蜂起」では、
ドイツから致命的な爆撃を受け、約20万人以上の犠牲者と街の約80%が瓦礫化してしまいました。
戦後、専門家や市民によって当時の資料と建築材料のかけらが拾い集められ、
元の旧市街を忠実に復元され、その熱意が歴史地区の世界遺産登録に導いたそうです。
ワルシャワ中央駅
ワルシャワ中央駅は、ドイツ、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアへの国際列車の発着する国鉄の駅です。
ショッピングモールに隣接した駅の構内には至る所に英語の表示があり、
複数サイズのロッカーや有料トイレ(3 zl)、ATM、両替所、カフェ、ショップなどがあり、
ホームには、列車の乗車位置の表示もあるのが他のポーランドの駅と違うところです。
ワルシャワ市内の公共交通機関について
ワルシャワの公共交通機関は、メトロ、トラム、バスで、私達が主に利用したのはトラムとバスです。
観光スポットは市内に散乱していていることから、公共交通機関を何度も利用する可能性が大きいので、
24時間チケットを購入するのが賢明です。
トラムのホームには券売機が設置されていて、英語表示とカード対応なので購入も簡単です。
購入したチケットは、トラムやバスの中の刻印機(写真左手)で有効にする必要があります。
券売機は車内にもついていて、英語の表示とカード対応です。
チケットの種類 (ZONE 1+2)
– 1回券(20分) 20分以内であれば乗り換えしても何度でも乗れるチケット:3.40 zl
– 1回券(75分) 75分以内であれば乗り換えしても何度でも乗れるチケット:4.40 zl
– 24h 刻印してから24時間有効チケット:15 zl
詳しい情報:ZTM公式サイト
チケットの購入や公共交通機関を利用するのが面倒だという場合は、乗り降り自由な観光バス
Hop-on-Hop-off を利用するのも一つの手段です。
ワルシャワは2つのルートがあるので、 興味のある観光ルートを選んで観光できます。
バスの中では観光スポットの簡単な音声ガイドも聞けるので、何を見ているのかもよくわかるし
迷子になることもないので、時間のない個人旅行にはいいかもしれませんね。
チケット販売サイト Get Your Guide から購入できます。
ワルシャワで訪れた観光スポットをマップにまとめています。
ポーランド軍事博物館
博物館の門をくぐってびっくり!
屋外には、第2次世界大戦で使用された戦車、戦闘機、大砲などのミニタリーコレクションが、
広々とした敷地狭しと展示されています。
館内は、中世の甲冑や槍から第一次世界大戦、第二次世界大戦中に使われていた銃器、
軍服など驚く数の展示されており、戦争と深いつながりのあるポーランドの歴史を理解することができます。
館内は有料ですが屋外の無料で見学でできるので、本物の戦闘機をまじかで見るいい機会になります。
ワルシャワ国立美術館
ポーランド軍事博物館の並びにある「ワルシャワ国立美術館」は、1862 年に美術館として設立された
国内で最も古い美術館の 1 つです。
絵画、彫刻、デッサン、版画、写真、コインなど、ポーランドにゆかりのある古代から現代までの美術品や
イタリアのベネツィア派、フランドルのルーベンスやレンブラントなどの作品を含む約83万点の
コレクションが所蔵されています。
フレデリック・ショパン博物館
ポーランドの天才音楽家フィレデリック・ショパンの博物館です。
17世紀に建てられたバロック様式の建物は、第二次世界大戦で爆破され再建されました。
博物館には、原稿や写真、ピアノなど、ショパンにまつわる約7,500点にのぼる世界最大のコレクションが
所蔵されています。
フィレデリック・ショパンの博物館の近くにあるショパン像が描かれたこの建物は、
「ショパン音楽アカデミー」です。
聖十字架教会
聖十字架教会は、17世紀の後半に建てられポーランドの著名人の墓碑銘が置いてあります。
第2次世界大戦で半壊し、その後再建されました。
教会内左側の石柱の下には、ポーランドの天才音楽家ショパンの心臓が埋められています。
何故、遺体ではなく心臓が...と疑問に思いませんか?
1830年、ショパンがウイーンに旅行中にポーランドで蜂起が勃発し、
祖国への帰国できずパリへ移ることになります。
その後、祖国への帰国が叶わず、1849年パリでなくなるときに残した遺言が
「死後、解剖して心臓を取り出し、祖国ポーランドへ持っていってほしい。」という事だったのです。
遺体はパリの墓地に埋葬され、取り出された心臓は、ショパンの姉によってポーランドへ持ち帰り、
彼らの通っていた聖十字架教会に保管されました。
コペルニクス像
聖十字架教会の近くのスタシツ宮殿(ポーランドアカデミー)の前にある像は、地動説を唱えた
ポーランドの歴史学者コペルニクスの像です。
この像は、ショパンがポーランドを去る前に完成したもので、戦時中にドイツ軍が持ち去り、
戦後再びこの場所に戻されたということです。
ゲットーの壁
住宅や高層オフィスビル、ホテルが立ち並ぶ地区にも
ポーランド系ユダヤ人の強制居住地区ゲットーの壁の断片が残されています。
1940年、ゲットーの壁の全長は18kmだったそうです。
ユダヤ人は、この地区に強制隔離され病気や飢餓が蔓延し、絶滅収容所へ送られていきました。
ゲットーの壁の断片は、「ナチス・ドイツによって虐殺されたユダヤ人の悲しい歴史」を
忘れてはいけないと物語っているようです。
ユダヤ人の最大の悲劇を語る場所といえば、アウシュヴィッツ。第二次世界大戦中、
このアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所にて110万人もの人々が命を奪われました。
パヴィアク刑務所博物館
パヴィアク刑務所は、1939年~1944年ドイツ占領時代、ゲシュタポ (ナチス・ドイツの
秘密国家警察)によって12万人の地下組織のメンバーが捕らえられ、収監者は射殺されたり
強制収容所へ移送されるという反体制活動家の抑制や、抹殺のシンボルとして知れ渡った場所。
1944年ワルシャワ蜂起の後、収監者は全員射殺され建物も爆破され、壁の一部と楡木が残されました。
現在博物館となっている建物は、当時の記録に元図いて再建され、貴重な資料が展示されています。
楡木はブロンズで再現され、亡くなった人々の名を記したプレートが打たれています。
ポーランド・ユダヤ人歴史博物館
ポーランド・ユダヤ人歴史博物館は、ポーランドにおけるユダヤ人の歴史を理解するための博物館です。
近代的建築様式で建てられたこの博物館は、 2013年フィンランドの建築家
ライネル・マハラマキ氏(Ilmari Lahdelma)によって設計されています。
ワルシャワ ゲットー蜂起記念碑
ワルシャワ ゲットー蜂起記念碑[Pomnik Bohaterów Getta]
場所:Ludwika Zamenhofa, 00-153 Warszawa
博物館の前には、1943年ワルシャワのユダヤ人ゲットーで起きた蜂起で戦った英雄たちの記念碑。
強制隔離地区ゲットーのユダヤ人戦闘部が、絶滅収容所、強制労働収容所へ送られることを拒否し、
ドイツ軍(SSと警察部隊)に対して起こした蜂起は、1か月にも渡りました。
ワルシャワで起きたゲットー蜂起では、7000人のユダヤ人が殺害され、
5万人が絶滅収容所で虐殺され、ゲットーや地下壕は爆破され廃墟と化しました。
これは、ヨーロッパのドイツ占領下の都市で起きた、最初の武力蜂起にして
最大のユダヤ人の蜂起だったのです。
博物館の敷地には、ヤン・カルスキの記念碑
ヤン・カルスキは、第二次世界大戦中ナチズムへの抵抗する国民軍に属し、
「ポーランドのユダヤ人に対するヒトラーの戦争」と呼ばれていたナチスドイツによる
ユダヤ人の迫害や絶滅収容所の現実を国外に知らせることを担当したポーランドの秘密外交官で、
多くのユダヤ人の救出に貢献した人物の一人です。
ワルシャワ蜂起記念碑
最高裁判所の敷地内に設置されている 「ワルシャワ蜂起記念碑」
第2次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで起こった武装蜂起の慰霊碑です。
この時、レジスタンス・市民約22万人が戦死・処刑されています。
ブロンズで造られたこの慰霊碑は、今にも動き出しそうです。
場所:Świętojerska, 00-207 Warszawa
「ワルシャワゲットー境界マーカー」
最高裁判所の裏手の地面に配置された幅25 cmの境界マーカーには、
「MUR GETTA 1940 / GHETTO WALL 1943」 と鋳鉄で表示され、
ゲットーの壁があった正確な位置と年代を示しています。
スタレ・ミアスト歴史地区
第2次世界大戦で破壊された歴史地区(Stare Miasto)
戦後、専門家や市民によって当時の資料と建築材料のかけらが拾い集められ、
元の旧市街を忠実に復元されており、その熱意が世界遺産登録(1980年)に導いたそうです。
新市街と旧市街を分ける要塞「バルバカン」
中世には外的の侵入を防ぐため、旧市街の周囲は城壁に囲まれていました。
その城壁の一部分として、馬蹄形の砦が建造されました。これが「バルバカン」です。
馬蹄形の砦は大変珍しく、ヨーロッパでは3つしか現存していません。
その2つはポーランドのワルシャワとクラクフで見られます。
旧市場広場
色とりどりの建物で囲まれた旧市場広場の中央には、ワルシャワのシンボル人魚像を中央に置いた
スケートリンクが設置されています。
この盾と剣を持った人魚像は、ポーランド最長の川・ヴィスワ川に人魚が出るという伝説から
ワルシャワの守り神としてトラムやバスのボディ、街灯の柱部分など街中のあちこちで見かけます。
街歩きの際に、気を付けてみてみましょう。
王宮広場から旧市街を囲む城壁に沿って雑貨やクリスマス雑貨、お菓子、
飲食店など屋台が立ち並ぶクリスマスマーケット
開催期間:2023年11月25日~ 2025年1月6日
開催時間: 金・土曜日 11.00~21.30, 日~木曜日 11.00~20.00
*12月25・26日 11:00~21:30
聖ヨハネ大聖堂
14世紀に建てられたワルシャワで最も古い教会の一つ。
第2次世界大戦で破壊され復元されたこの教会は、歴代のポーランド王の戴冠式が行われた
由緒ある教会で、ポーランド王国最後の王スタニスワフ2世アウグストや
ポーランドの著名な歴史人も埋葬されています。
ワルシャワ王宮と王宮広場
王宮広場(plac Zamkowy)に建てられたワルシャワ王宮は、何世紀もの間、
ポーランドの君主の公邸であり行政と文化の中心として使用された場所です。
17世紀にはスウェーデンによって破壊され、19世紀にはロシアによる芸術品の略奪、
そして第二次世界大戦ではドイツ軍によって破壊された王宮は、30年ほど前に忠実に復元され、
現在博物館として、王室の絵画コレクションや豪華絢爛な調度品や装飾を見ることができます。
文化科学宮殿
『文化科学宮殿』は、ワルシャワ中央駅の近くにある高層ビルです。
角張った高層ビルは、ソビエト支配下時代に建てられた「スターリン・クラッシック洋式」と言われる
建築様式だと思われます。
44階建てのビルは、テレビ局や博物館、映画館、劇場などの3.288室の複合施設が入っており、
塔の先端までの高さは237mあります。
1955年の完成時は、世界でも8番目に高いビルだったそうです。
地上30階が有料展望台になっていて、114mの高さからワルシャワのパノラマを360度
楽しむことができます。
噂では...ワルシャワ市民は、この建物にはあまり好感を抱いてないそうです。
ワルシャワ中央駅隣接のショッピングモール
ワルシャワ中央駅は、ロッカー施設やショッピングモールなどが充実していて日本に近い環境でした。
ワルシャワ中央駅に隣接する大型ショッピングモールには、8室の映画館と200店舗以上のショップや
レストランが入っているので、寒さ凌ぎや時間潰しにもかなりいい感じです。
建物もかなり近代的なデザインで、鉄と1400トンのガラスでできた緩やかな波を描くような
カーブの天井が目を引きます!
ライトアップすると、昼間は見えなかったショッピングモールの内側がはっきり見えて、華やかです!
ワルシャワで宿泊したホテル
ワルシャワで宿泊したのは、Centrumからトラムで1駅(中央駅からは2駅)のアパートホテル
ホテル アパートメンツ ズゴダ ワルシャワ バイ デシルヴァ (2019年)です。
清潔で設備も整っていて、バス停やトラムの駅にも近く、スーパーが目の前にあり便利でした。
窓からは、Centrum に建つ 文化科学宮殿 が見えて景色を楽しむこともできました。
ワルシャワは街自体が大きいのと観光スポット間の距離が離れている為、
駅前に泊まっても旧市街付近に泊まっても、観光には公共交通機関の利用が必要ですが、
中央駅からも近く、空港リムジンバスの発着する Centrum 付近が便利だと思います。
ワルシャワもクラクフのように、アパートホテルが結構低価格で見つかります。
数日滞在する場合は、本格的な料理をしなくても、ホテルより簡易キッチンの設備のある
アパートホテルの方が快適です。
まとめ
ワルシャワは、街が広いうえに観光スポットが一つの場所に集中していない為、
すべてのスポットに徒歩でアクセスすることは難しいです。
ワルシャワの観光に時間をかけずに他の都市へ移動する場合は、ショパンのゆかりの場所を辿ったり、
世界遺産に登録された歴史地区を散策するなど、行きたい場所をピックアップしておくと効率的です。
また、ポーランドの歴史を理解したい方は、ゲットーの壁の破片や境界線、蜂起記念碑など
ユダヤ人にまつわるスポットや刑務所博物館、軍事博物館など、ポーランドが周囲の国から
危害を受けた歴史をたどることができます。
ワルシャワの多くのモニュメントは、ただ見るだけではなく、ポーランドの歴史を理解したうえで
見学すれば、かなり見解が変わってきます。
私たちもクラクフやグダンスクのように美しい中世の街並みを見てきた後に、ワルシャワで
戦争の残酷な歴史を目にすると、少し気が滅入ってしまいましたが、事実を知るということは大切なことです。