年に2回(7月2日、8月16日)馬を用いて行われる祭り、パリオ祭が開かれる
カンポ広場を見下ろすようにして建つマンジャの塔とプブリコ宮殿。
102mの高さからシエナの街を見下ろすように建っているマンジャの塔は、イタリアで2番目に高い塔です。
14世紀に20年の歳月をかけて建てられたプブリコ宮殿は、シエナで一番豪華なゴシック建築で、
地上階は現役の市庁舎として使用されており、1、2階(日本では2、3階)は市立美術館になっています。
見学時間とチケットについて
マンジャの塔とプブリコ宮殿のチケットは、建物の正面左手の窓口で購入します。
- プブリコ宮殿 [ Palazzo Pubblico ]
見学時間:10:00~18:00 (1月11日~3月15日) 10:00~19:00(3月16日~10月31日)
休館日:12月25日( 12:00~18:001月1日)
料金:大人 € 10 / 11-19歳、65歳以上 €9
チケットをみる - マンジャの塔 [ Torre del Mangia ]
見学時間:夏季 10:00~19:00 (3月1日~10月15日)、冬季 10:00~16:00(10月16日~2月28日)
料金:€ 10
ローマの建国者のモチーフがシエナにある理由は?
中庭には、狼に育てられローマを建国したロムルスとレムスの双子の兄弟の伝説がモチーフになった
「双子に乳を与える牝狼」が展示されています。この狼と双子の彫刻は、街の至る所で見かけます。
王座争いでレムスはロムルスに殺害され、双子の息子も命を狙われます。
双子はローマのシンボルの像を盗み白と黒の馬に乗り、ローマを逃れシエナの街に辿り着き、
シエナの街を創設し、そのうちの一人「セニオ」の名から「シエナ」と名付けられたというたという
伝説があり、シエナの紋章などにローマと同じ雌狼と双子の姿が見られるのです。
プブリコ宮殿の展示室の見どころ
リソルジメント室 [Sala di Risorgimento]
19世紀のフレスコ画や彫刻を展示するリソルジメント室では、ヴィットリオ・エマヌエーレ ll 世の
イタリア国家統一運動の様子を描いたようすが壁一面に描かれています。
鮮やかな色彩に金が使われた豪華な壁画です。
礼拝堂[ Cappella di Palazzo ]
礼拝堂は、フレスコ画や木製の浮彫り、シャンデリアで装飾され、落ち着いた美しさが見られます。
壁画は、シエナ派のタッデオ・ディ・バルトロ(Taddeo di Bartolo)によって
聖母の生涯、聖人、福音書記者、預言者、美徳のシーンが描かれています。
執権の間 [ Sala di Balia ]
マルティーノ・ディ・バルトロメオ、スピネッロ・アレティーノ、ドメニコ・ディ・ニコロ
などによるフレスコ画は、とても色鮮やかです。
世界地図の間 [ Sala di Mappamondo ]
世界地図はなく、戦争の場面を描いたフレスコ画で覆われています。
荘厳の聖母
シモ―ネ・マルティーニ (Simone Martini )による初期傑作といわれる「荘厳の聖母(マエスタ)」は、
横幅10メートルにも及ぶこの大作は、シエナ派を代表する作品です。
騎馬のグイード・リッチョ・ダ・フォリアーノ
地図の間のもう片方の壁を飾るのも、シモ―ネ・マルティーニ ( Simone Martini )によって
1330年に制作された「騎馬のグイード・リッチョ・ダ・フォリアーノ」(Guidoriccio da Fogliano
all’assedio di Montemassi)です。(上部)
シエナ共和国の反乱を抑えた指揮官が、征服した城に向かって勝利の行進をするを描いたこの作品は、
シエナの誇りを表すものです。
枢機卿の間 [ Sala di Cardinali ]
アンブロージョ・ロレンツェッティ(Ambrogio Lorenzetti) 、マルティーノ・ディ・バルトロメオ
(Martino di Bartolomeo)、マッテオ・ディ・ジョヴァンニ (Matteo di Giovanni)などによる
14~15世紀のフレスコ画で装飾されています。
ロッジャから眺めるシエナの街並み
美術館の見学後は、少し急な階段を上がると、ロッジャで新鮮な空気を吸ってシエナの和やかな景色を
楽しむことができます。
トスカーナ州やウンブリア州を訪れると、ところどころ小高い丘の上に街が造られているのを
目にすると思います。これらの街は、エトルリア人によって造られています。
彼らの街づくりの特徴は、小高い丘に街をつくり壁で街を囲むこと。
このロッジャからも、そのような街の風景を見ることができます。
隣には高さ102mのマンジャの塔が建ち、暗く狭い階段を上った先には素晴らしいシエナの景色が
眼下に広がります。
マンジャの塔の名前の由来
イタリアで2番目に高いといわれるマンジャの塔の名前の由来ですが、
「マンジャ」 というのは、イタリア語で “マンジャーレ(食べる)” を意味するので、
変な名前だな~と思いましたが、そこから来ているそうです。
1347年~1360年、市から鐘楼の鐘を任命されたジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョ
[(通称 マンジャグワダンニ (Mangia Guadagni)]が、1番最初に鐘をついたときの
掛け声が、マンジャ! だったそうで、そのまま塔の名前に置き換えられたそうです。
ちなみに...マンジャ グワダンニの意味は、食べて(Mangia) 儲ける(Guadagni)という意味です。
つまり、働かないでお金儲けするというあだ名が付けられたわけです。
マンジャの塔とプブリコ宮殿へのアクセス
場所: Piazza del Campo